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歴史 ランスに本拠を構えるシャンパーニュ・テタンジェは、1734年創立のフルノー社をその起源としています。第一次大戦時、フルノー社所有のシャトー・ド・ラ・マルケトリー(寄せ木細工の城)に駐留していたピエール・シャルル・テタンジェは、この城をたいへん気に入り、戦後になってまず城を、続いてフルノー社そのものを買い取りました。そして1930年からテタンジェの名前でシャンパンを売り出すようになったのです。 ピエール・シャルルの後を継いだ現社長のクロード・テタンジェは事業を拡大し、今やシャンパーニュ業界では数少ない家族経営の生産者として、その名声を高めています。 テタンジェ・ファミリー |
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テタンジェのシャンパーニュ シャンパーニュ・テタンジェはシャルドネを主体とする洗練されたスタイルのシャンパン造りで定評があります。とくにプレステージ・キュヴェのコント・ド・シャンパーニュは、コート・デ・ブラン地区の厳選されたシャルドネのみから造られた最高級シャンパンです。また、1978年ヴィンテージより、現代アーティストの作品によってボトルの飾られた、テタンジェ・コレクションがリリースされています。このシャンパンは優れた年しか造られず、これまでヴァザルリー、マッソン、リキテンシュタイン、そして日本の今井俊満らが手がけています。 |
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シャンパーニュで最も偉大なブドウ畑 このように高品質なシャンパンを生み出す鍵は、その広大な自社畑にあります。シャンパーニュ・テタンジェは288ヘクタールにおよぶブドウ畑を所有し、全生産量のおよそ40パーセントを自社ブドウでまかなっています。この高い自給率こそがブドウの品質をよりよくコントロールし、ひいてはシャンパーニュの品質を揺るぎないものとしているのです。 また、1973年にはロワール地方のヴァン・ムスー・メーカー、ビヴェ・ラデュベ社を傘下におさめ、1986年にはカリフォルニアのカルネロス地区に75ヘクタールのブドウ畑とワイナリーを創設。ドメーヌ・カーネロスの名前で、スパークリングワインとピノ・ノワールからなる赤ワインが生産されています。 |
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最高級シャンパーニュ: コント・ド・シャンパーニュ シャンパーニュ・テタンジェのスーパー・プレスティージュはコント・ド・シャンパーニュです。現在の社長クロード・テタンジェ氏が、シャルドネのグラン・クリュのみをブレンドして造るという、当時では画期的なシャンパーニュを1957年、世に出しました。従来のピノとシャルドネをブレンドしてメーカーの味わいを出し、ブレンドを重視してきた伝統に反したものでした。クロード・テタンジェ氏は、1920年代からの人々のライフスタイルの劇的な変化に初まり、ヌーベル・キュイジーヌの台頭と共にワインも力強さより、エレガントさや軽やかさが求められる事を敏感に感じ取っていたのです。 グラン・クリュ・シャルドネのみを使用することで、洗練性と近代性を結びつけたキュヴェとなったシャンパーニュは「まさに霊薬のようだ」と評されました。その名前はコント・ド・シャンパーニュと名付けられました。それはテタンジェ社に馴染みの深い有名なシャンパーニュ侯爵、チボー4世から冠しました。テタンジェ社のシンボル、又コント・ド・シャンパーニュにも使用されているマークは十字軍に向かう騎士、チボー4世の姿です。 コント・ド・シャンパーニュは歴史的にも非常に価値のある4世紀に建てられたサン・ニケーズ修道院の下のカーヴで熟成させられます。 |
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チボー4世 中世のシャンパーニュ地方はヨーロッパ全体の公益の場所として、シャンパーニュ侯爵家に300年にわたり統治され、平和と繁栄をもたらしました。そのシャンパーニュ侯爵家の中でも最も有名なチボー4世、通称シャンソニエ(詩人)の逸話をご紹介します。この貴公子は「白い女王」と呼ばれたカスティリヤの女王に恋をします。この恋によって、その女王の夫であるフランス国王ルイ8世とその息子サン・ルイ王から憎しみを買い、彼は許しを請うため十字軍に出発します。しかし、十字軍から無事に帰還しても「白い女王」への恋心はおさまらず、チボー4せいは女王の住むナヴール王国とシャンパーニュ地方の豊かな領地との間を往来して一生を終えます。 十字軍に出たシャンパーニュ侯爵チボー4世がフランスに持ち帰ったと言われているのが、シャルドネ種の祖先と薔薇の一品種であると言われています。また、シャンパーニュ地方にあったチボー4世の住まいはランスにあり、現在テタンジェ社が所有しています。 |
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