歴史
イタリア東北部にある、アルト・アディジェで、山に囲まれた故郷のアルビオン村に別れを告げ、単身でボルツァーノにやってきたヨハン・ラゲーデルは、1823年にワインの取引を始めました。彼の息子、アロイス・ヨハン・ラゲーデルが父のワイン・ビジネスを引き継ぎ、さらにブドウ畑とセラーを購入して、ビジネスを拡大していきました。
アロイス・ヨハンの長男、アロイス2世は、ラゲーデル家のワインへの情熱を譲り受け、ボルツァーノ丘陵の北部にある、サンタ・マグダレーナ地区にブドウ畑を購入しました。サンタ・マグダレーナの畑のワインは、同じボルツァーノ地区の畑のラグレインとともに、彼が造ったワインの中で最も秀逸なものです。
アロイス2世は、早い時期に、畑の位置とテロワールが持つ重要性に気付き、それを追求したワイン生産者の一人で、ボルツァーノの丘陵の斜面にあるマイクロ・クライメットの違いを熟知し、同時にそれがワインに与える微妙な味わいの違いを正確に感じ取る能力を持っていました。若い時からワイン専門家としての知識を獲得したアロイス2世の息子、アロイス3世は、実業家としての才能にも恵まれ、世界的視野に立った人物でした。彼は、アルト・アディジェの土着ブドウ品種が、この地方のワインが持つ優位性の一つになるだろうと考え、スキアーヴァやラグレインを始めとする土着品種のポートフォリオを拡大しました。
彼は、白ワイン品種だけでなく、カベルネ・ソーヴィニヨンやメルローのような厚みのある赤ワイン品種に適した、日照に恵まれた畑を探し求めた結果、1934年に、アルト・アディジェの南端にあるマグレ村に、これを見出し、ブドウ畑と館を持つレーヴェンガング・エステートを購入しました。周囲のブドウ栽培農家からもブドウの供給を受けつつ、生産量は順調に拡大していきましたが、1963年にアロイス3世は突然死去し、状況は一変しました。
彼の一人息子アロイス4世はまだ12歳であったため、残された彼の妻クリスチャーネと長女ウェンデルガードが、ワイナリーの経営にあたり、困難な時代を乗り切りました。 アロイス4世が成長し、経営を引き継いでからも、ウェンデルガードは、夫であり、醸造長であったルイス・フォン・デレマンとともに、ワイナリーの運営に大きな役割を担っています。
アルト・アディジェのワインは、元々ブレンド用にバルクで出荷されるものが殆どでしたが、アロイス4世は、1970年代から、生産したワインを自社ラベルで瓶詰し、販売しました。
しかし、大量消費型ワインの産地としてのイメージが強く、販売量は伸び悩んでいました。
彼は、アルト・アディジェの持つ偉大なワインを生み出す力を確信しており、品質の高いワインを造ることでのみ、過去のイメージを変えることができるという信念に到達します。
さらに自社畑を拡大し、畑を棚仕立てから垣根仕立てに変更して、収量を低くするとともに、醸造所にも新しい技術を導入しました。伝説的なカリフォルニア・ワインの生産者、故ロバート・モンダヴィ氏との出会いに触発され、オークの小樽での熟成も始めました。
アロイス・ラゲーデルの、コル・ローミグベルグ・カベルネ・ソーヴィニヨンやレーヴェンガング・シャルドネは、アルト・アディジェのワインの世界に、全く新しいスタイルと品質基準をもたらしました。
1991年に、アロイスはマグレ村の周囲に30haのブドウ畑とルネッサンス様式の館を持つヒルシュプルン・エステートを購入し、1995年に、ここに最新式設備を持った醸造所を建設しました。栽培についても、1990年代初頭から、50haの自社畑全てをビオディナミ農法に切り替えました。