歴史
ブラウン・ブラザーズ社の創設者、ジョン・フランシス・ブラウンは、1885年にヴィクトリア州ミラワに、10エーカーのブドウ畑を入手し、ワイン造りを始めました。当時のオーストラリアでは、まだワインの消費は限られていましたが、輸出市場には大きな可能性があり、ブラウン・ブラザーズ社は自社畑を拡大しつつ、生産量を拡大していきました。新しい醸造所には、蒸留設備も設け、人気のあった酒精強化ワインの生産でも大きな成功を収めました。
ジョン・フランシスの息子、ジョン・チャールズは、1909年までに、自社畑を40エーカーに拡大し、シラーズ、マルべック、ペドロ・ヒメネス、ブラウン・マスカット、リースリング、トカイ、ゴールデン・シャスラ品種等の新しいブドウ品種の栽培を始めました。ジョン・フランシスは、株仕立ての栽培が殆どだった時代に、垣根仕立てを導入するなど、常に新しい領域に挑むパイオニアとして知られ、行政の分野でも多くの貢献をしました。
1916年に、フィロキセラがミラワを襲った時、多くのブドウ栽培者が、あきらめてブドウ樹を引き抜く中、ジョン・フランシスは、州政府のブドウ栽培指導者であったフランソワ・ド・カステーリャの助言に従って、新しい畑にアメリカ原産のブドウ樹に接ぎ木をしたブドウを植え、復興に成功しました。
1933年に、ジョン・フランシスの一人息子、ジョン・チャールズ・ブラウンが家業に加わった時、ブラウン・ブラザーズは6000ガロンのポート・スタイルの酒精強化ワインをロンドンに向けて輸出していました。ジョン・チャールズは、醸造家であり経営者として父の後を引き継ぎ、70年間にわたってブラウン・ブラザーズ社の発展に貢献しました。
ジョン・チャールズは、珍しいブドウ品種の栽培を手掛け、現在ではブラウン・ブラザーズの様々なテロワールを持つ畑には40種類以上のブドウ品種が植えられています。また、ジョン・チャールズは、白ワインの繊細なぶどうのアロマをワインに反映させる、スキン・コンタクトや低温発酵の技術を、ヴィクトリア州で初めて用いた醸造家でもあります。1962年には、ミラワ・エステートのボトリティス菌がついたリースリング品種のブドウから、初のノーブル・ロット・リースリングを造りました。彼のワイン産業における努力は高く評価され、1989年の英国女王生誕記念日に、オーストラリア勲章を贈られました。
1958年にはブラウン家の3世代目であるジョン・グラハム・ブラウンがミラワのワイナリーに加わり、1988年にCEOとなりました。ジョン・グラハムが2001年に引退した後は、弟のロスがCEOを務めています。